部屋の時計が、正しい時刻より三分ほど進んでいます。直そうと思えばすぐ直せるのに、そのまま何か月も使っていることがあります。

時計を見るたびに「本当はもう少し前」と頭の中で引き算をします。わざわざ増やした手間なのに、なぜか慣れると気になりません。

数分のずれを自分だけが知っている

家に来た人が時計を見て急ぐと、少し申し訳ない気持ちになります。こちらにはわかっているずれが、相手にはわかりません。

その一方で、自分だけが時計の癖を知っていることには、妙な親しさもあります。正確な道具というより、少し癖のある同居人に近くなっています。

古い時計ほど、進み方や遅れ方まで含めて部屋の景色になっているものです。

余裕ができたようで、できてはいない

時計を進めるのは、遅刻を防ぐためだったはずです。けれど、ずれを覚えてしまえば、結局は正しい時刻へ戻して考えます。

三分早いからまだ大丈夫、と判断するので、実際の余裕は増えていません。それでも一瞬だけ背筋が伸び、支度へ戻れることがあります。

役に立っているのかいないのか、はっきりしないところまで含めて、進んだ時計との付き合い方です。

正すほどでもないものが部屋にある

暮らしの中には、完全には整っていないけれど困ってもいないものがあります。少し傾いた額や、閉まりにくい引き出しもそうです。

すべてを正しく直すことだけが、居心地のよい部屋を作るわけではありません。癖を知り、折り合いをつけているものにも愛着が残ります。

次に時計を見て引き算をしたら、今日もまだ直していないな、とだけ思っておきましょう。